算数の「良質な文章問題」(どんぐり問題)
「計算は得意だけれど、文章題がちょっと・・・」は危険信号!!
「計算は得意だけれど、文章題がちょっと・・・」
「計算はできるけど、応用問題がさっぱりです」
もし、お子さんに対して、そう感じられているとしたら、これは危険信号です。
ただひたすら、「よく考えなさい」「よく問題を読みなさい」と指導していませんか。
こどもに「考える方法」を教えたことがありますか。「考え方(解き方)ではなく
「考える方法」です。
文章問題ができないこどもの多くは、「考える方法」を教わっていません。
考える方法を教えないで「知識量が少ないから考えられないのに違いない」
「もっと暗記させなければ」「この子は理解力が足りないのではないか」
などと思ってしまいませんか。
ノルウェーにこんな諺があるそうです。
「こどもに一匹の魚を与えると一日生きることができる。
しかし、魚の捕り方を教えると一生食べることに困らない」
「どんぐり問題」を通して、一生使える力を育てましょう!
こどもが「文章問題」に取り組んでいるとき、考えているのか、思考停止状態なのかを
判別するのは決して難しくありません。絵図を描くようにアドバイスしてみてください。
もし、絵図が描けない場合は、残念ながら何も考えられていません。
「考える・分かる」というのは、正確にイメージ出来る=絵図に描けるということです。
同時に、これは「考える方法」でもあります。この考える方法を通じて「視考力」=「思考力」
が育ちます。しかし、この方法を教わっていないこどもは、絵図を描くこともなく「考えたけ
れどわからない」と言います。これは「考える方法」を教えないで「何度も読みなさい」
「よく考えなさい」とだけ言い続けてきた私たち大人の責任です。
「良質の文章問題」は、単なる応用問題としての文章問題ではありません。
「理解力・思考力・判断力」の養成に共通している「視考力」の養成が無理なく、
負担なくできるような仕組みになっています。
「考えない習慣」をつけられているこどもたち
「計算が速い」ということと「学力が高い」ということは関係ありません。
速いというのは、既存の思考回路しか使っていない(考えていない)証拠です。
そして、最も怖いのが「反射」です。反射は、頭脳に新しい思考回路を作れません。
ついつい見栄えがいいので、速いことが「学力が高い」ことと勘違いしますが、それを
続けているうちに、思考回路を作成できる時期を逸してしまいます。
そうなってから「この子は考える力がない」とか「応用力がない」と嘆いてみても手遅れです。
すっかり「考えない習慣」が身についてしまっていますから。
「準備学習」こそ大事!
才能を、無理なく無駄なく効果的に開花させるのが 「準備学習」です。
「準備学習」は、今知っている知識を総動員して、自ら工夫して問題を解いていく
方法です。人には学習の適齢期があります。この適齢期を無視して、ただ「できる」
ようにしてしまうと、浅い理解のまま完成してしまうので、応用は利きません。
応用力不足を「パターン学習」で補おうとしても、パターンが増えるだけで、応用力
育ちません。早い時期からパターン学習を身につけてしまうと、パターンにあてはま
らない問題に出合ったとき、全く手がでなくなります。
これは「勉強」に限らず、社会に出てからも同じです。
「良質の算数文章問題」は「準備学習」が自然に、楽しくできるようにプログラム
されています。自ら工夫して絵図を描き、いま持っている自分の知識を総動員して
問題を解いていくという過程が、何にも増して大事なのです。
「道具」を手に入れるまでの大切な「準備」、それを可能とするのが「どんぐり問題」
です。
★重要!★
「良質の算数文章問題」は、解答に至らなかったり、答えが間違っていたりしても
問題ありません。問題文を視覚イメージ化(絵図に描ける)できているかどうか
重要です。そして、その絵図を操作して、答えを導き出そうと工夫する行為が重要
なのです。
結果的に、答えが間違っていたとしても、「あれ、どこで間違えたのかな」
「ここをこう描いたから違ったのかな」と話してあげればいいことです。
”本当の学力”とは、未知の問題に対しても、楽しく工夫しながら取り組むことができる力の
ことを言います。どのような問題に出合っても、解決方法を自分で試行錯誤しながら見つけ
ることのできる力です。この力が、勉強に限らず、子どもたちが人生を生きていくときに
必要な力です。つまり「生きる力」です。「生き抜く力」と言ってもいいでしょう。
「どんぐり問題」の開発者 糸山泰三氏の言葉から