「絵解き問題」は楽しい❣ 2021/05/04 Tweet 「絵解き問題」は楽しい! 「計算はできるけど、文章題になると…」というお母様たちの悩み、よく聞かれます。「どうしたら、読解力がつくのでしょうか」と並んで、指導者泣かせの質問だということをご存知でしょうか。この質問に対する明確な答をお聞きしたことはないのではないでしょうか。 一般的に、この質問へのアドバイスは、「本を読ませて、読解力をつけましょう」になりがちです。 しかし、これはある意味、白旗を揚げたのも同じです。多くの指導者が、本当のところ、具体的にどうすればいいのか、よくわかっていないのです。 なぜでしょう? 文章題を解くとき(もしくは、文章を読んでいるとき)の子どもの頭の中身が見えていないからです。 解ける子は、すぐにさっと式を立てて答を出します。解けない子は、式を出すことができずに途方に暮れるばかりです。その様子を見ている指導者には何も見えていません。 ほとんどの指導者が、文章題が解けるかどうかは、「結局、頭のよしあしじゃないか。」『「読解力」が物をいうから、本を読んでいない子はだめだよな。』「集中力がない子はだめだ!」ぐらいにしか思っていないのです。しかし、質問されると、プロということもあり、何か答えなくてはいけません。それで、まさか「頭をよくしましょう」などと間抜けなことを言うわけにもいかず、『「読解力」や「集中力」をつけましょう』などと、具体的なように見えて、全然具体的でない、およそ毒にも薬にもならないアドバイスをすることになります。 実際に、子どもが文章題を目の前にして途方に暮れて固まっているとき、多くの指導者はこう言います。「もっと問題文を注意深く読んで、何の式を使うかを、よく考えよう」と。 しかし、よく考えてみると、子どもたちは「考える方法」を習っていないのです。なのに、「よく考えなさい」と言われる。実は、これは子どもの問題ではなくて、指導する側の問題なのです。優秀なお子さんは、どのような問題に対しても、すぐに式を立てて、問題を解いていきます。その現象面だけを見て、指導者は錯覚してしまうのです。「考える過程」=「式」と勘違いしてしまい、あげくのはてに、子どもに要求します。「まず、式を立てましょう!」と。 この「まず式を立てよう」というのは、明らかに見当違いの指導です。 指導する側としては、頭の中の動きが見えないものだから、結局、ワンパターンの言葉を発するしかないのですが、ここでじっくりと考えて頂きたいのです。 子どもの頭の中って、見えないのでしょうか?いいえ、見えるのです。ある方法を使えば…。しかも、かなりくわしく。 その方法とは、絵を描いて、文章題を解かせることです。それもただの文章題ではありません。 子どもが興味をひくような楽しい内容で、しかもイメージを喚起しやすく、実はいろいろな考え方が身につくように仕組まれていて、始めから何算で解くのか、まったくわからない文章題。そのような文章題こそ、子どもの頭の中の状態をありのまま映し出してくれるのです。 『絵解きお話文章題』の問題を、小学生に解いてもらうようにしています。1週間に何題も解きませんが、ものすごい威力を発揮します。次の問題を解いてみてください。 僕は、アリのハッピー。 我が家の初詣は、毎年、家の近くのアナゴ神社と決まっている。 なかでも楽しみなのは、おみくじとお賽銭。 お賽銭は、十分ご縁がありますように、と毎年15円入れているんだよ。 ところで、アナゴ神社の階段は、全部で300段あるんだけど、 朝の7時半に登り始めて、40分かかって126段登ったところで、 もう息が切れちゃって・・・。ここで、10分の休憩だ。 それから、残りの石段を1分間で3段ずつ登ったんだ。 さて、僕たちは何時何分に着いたのだろう。 この問題を実際に紙と鉛筆で解いてから、続きをお読みになってみてください。 これからの説明が理解しやすくなりますので。 一般的な解き方としましては 300-126=174(ひき算) 174÷3=58(わり算) 40+10+58=108(たし算) 7時30分+108分=7時138分=9時18分(時間の計算) 答 (午前)9時18分 となるところです。 この問題は、174÷3のように、3桁÷1桁の割り算が出てくるので、この問題のレベルは小4以上ということになります。これをいきなり一般の方法(まず式を立てて、答を出す)で解くとなると、高学年のお子さんでも苦戦する子は多いと思います(中学生も結構、苦戦する子は苦戦します)。文章を読んでも、意味を考えようとしないで、これは「何算なのだろう」と反射的に考えるくせをつけられているからです。 高学年の算数がよくできるお子さんは、上の式(もちろん他の式も可です)で、すらすら解けると思います。確かに、この問題をあっさりと式を立てて解くお子さんは、優秀にちがいないのですが、あっさりと、まるでわんこそばをぺろりと食べるように解いてしまうと、もったいないなあという感じがするのです。 なぜなら、文章題には、隠れた宝物がたくさんあるからなのです。 その宝物を見つけなくても、答を出すことはできます。だけど、せっかくの宝物をみすみす見逃すなんてもったいないと思いませんか。 絵を描けば、宝物のありかが見えてきます。では、宝物探しに出かけるとしましょう! これは、2年生の子が解いた答案用紙です。このプリントを手渡して、30~40分ぐらいたってから、この答案を見せられました。 この回の問題は、設定している数が大きすぎて、さすがに小2にはちょっと無茶な出題だろうと思っていました。 だけど、今考えれば、この時までに、すでに「どんぐり問題」の文章題を続けていて、この時までに文章題を30題ぐらいは解いていました。 絵を描きながら問題を解くスタイルに慣れて、イメージ力が鍛えられたのだと思います。ややこしくても、読んで意味さえ読み取ることができれば、絵を描けばだいじょうぶと本人も思い始めていたころです。 それでは、プリントの図とその思考の流れを簡単に解説します。 アナゴ神社の階段は、全部で300段あり、126段登ったから、残りの階段は求めるために、右上に筆算しています。300-126=174(段) 残りは174段です。 まだ割り算を学校で習っていないので、地道に石段を描いて、残りの石段を登るのに58分かかることが分かりました。それに、途中までかかった40分をくわえます。 58+40=98(分) これで階段を登っている間の時間が出ました。次に98分に休憩の10分を足して、108分にするのかな?と思ったら、98分から30分引いちゃいました。 98-30=68 おそらくここで、彼女の頭の中で30分は7時半に与えられ8時に変えて、時計の計算をしやすくしたと思われます。ここで、8時からどれくらい時間がたったかを求めます。まだ休憩の時間を加えていなかったことを思い出したのでしょう。 68+10=78 で、8時を基準にして、これから78分経つと、描いた時計を使って、9時18分という答を導き出しています。 以上、ざっと見ていきましたが、ここで一番の難関の場所はおわかりですね。 「残りの174段を1分間に3段ずつ登る」 ここで、大半の小3以下のお子さんはアウトです。前述しましたように、174÷3の式は小4にならないと習わないからです。 (高学年のお子さんでも、ここですぐに割り算の式を思い浮かべることのできるお子さんはかなり少ないようです。数字を小さくして「12段を1分間に3段ずつ登る」であれば、割り算の式12÷3の式を出せる子は多くなります。12段はイメージすることが容易にできるのに対して、174段はイメージしにくいからです) 「こんな問題、まだ習っていないからできるはずないじゃないか」と言って、もはや考えることを完璧に放棄してしまうことでしょう。 だけど、絵を描いて考える方法を知っている子は、習っているかどうかは関係ありません。とことん粘ることができます。 ひたすら黙々と自分の力で考え続けるだけです。 そして、それは意外にも、子どもにとって楽しいことなのです。一見めんどくさそうに見えて、実は楽しいことがこの世に存在することが、こうした作業を通じて理解できていくのです。 わからないとぼやくより前に、とりあえず174段の石段を描けばいいのです。 1分で3段、2分で6段、3分で9段・・・58分で174段というふうに数えていくわけです。 アリのハッピーと一緒に、登りながら。 一段 一段 一段 一段 一段 ・・・ 苦労しながら、 やっと頂上の神社にたどり着きます。 そこで、初めてわかります。 174段登るためには、58分もかかってしまうことを。 アリさんが石段を登るのが大変だと言うことを。 ここで、多くの方は、こんな面倒なことに時間をかけなくても、すぐに174÷3の式を立てて、58の答を出した方が早くて効率がいいじゃないかと思われることでしょう。 おそらく学校の先生方も多くは、この考え方だろうと推測します(実際、塾生が学校で算数の時間に図を描いて問題を解くと、こんなにまわりくどい解き方をしなくても公式にあてはめた方が早いよと指摘されるか、または公式にあてはめての解き直しを命じられることもるようです)。 ここでまたもやじっくりと考えて頂きたいのですが、 問題を効率的に早く解くことが本当に良いことなのでしょうか。問題を解くという行為の目的は答を出すことなのでしょうか。 ふつうに考えれば、174÷3で簡単に答を出す方がレベルが高いというか上だという見方があると思うのです。 だけど、174÷3で答を簡単に出すと、実は大切なことが学ぶことができません。 174÷3の式を立てて答を出すと、確かに「174段の中に3段のかたまりがいくつあるかのときには、割り算で答を出す」という解き方を確認することはできます。 つまり、式だけで軽く解いてしまうと、解き方と式の関連性を確認しただけで、せっかくの文章題を解いたにもかかわらず、イメージ力を鍛えられることがないのです。 一方、絵を描いて楽しみながらだと、一題解くのがやっとです。たくさんの問題は解けません。 だ・け・ど、正しい苦労はご褒美もたくさんもらえることになります。 お宝をどんどんゲットできるのです。 さて、どんなお宝でしょうか。 楽しみですね。 今日は、お宝ホイホイ・ゲット・コースのご案内といきます。 まず、すぐに分かることは、 石段を一段一段積み上げて描いていきますから、たし算を強烈に意識することになります。 『たし算』のお宝、ゲット! それから、ここには描かれてはいませんが、頭の中で300段を描いて、126段登った場面を想像して、300-126=174 をイメージしたわけです。 『ひき算』のお宝、ゲット! 右上に時計の絵を描いて、時間の計算をしていますね。 『時間の計算』のお宝、ゲット! 174段の石段を描き、その中に3段の固まりが何段あるかを意識しますね。 『わり算』のお宝、ゲット! 174÷3という式を意識することはありませんが、まだ学校で習っていない『わり算』の原理がここでしっかりと学ぶことができるのです。 『わり算』の答を出すことのできる小学生はたくさんいますが、実はこの『わり算』を本当に理解して中学生に上がっている小学生は、全体の2割から3割ぐらいのようです。本当にむずかしい単元なのです。 絵をよくご覧ください。 60段までは、根気よく「3段ずつで1分」とずっと描いていますが、ちょっとめんどうになったのでしょうね。60段以上では「30段で10分」ずつと、3段を10個集めて、30段にしています。 これを式で表すと、 3×10=30 『かけ算』のお宝ゲット! では、そろそろ、より次元の高いお宝へとご案内です。まだ学校で習っていない単元のお宝が実はたくさん埋まっています。 お気づきになっている方も多くいらっしゃると思いますが、実はこの問題。小6で習う『速さ』の問題なのです。 ということは、ここで『速さ』というお宝、ゲットですね。 問題文をご覧ください。 「残りの石段を1分間で3段ずつ登ったんだ。」という文があります。 『速さ』の問題において 「1分間に3m」が「分速3m」に置き換えることができるように、 「1分間に3段」は「分速3段」という速さの表現に置き換えることが可能です。 ですから、さきほどの174÷3の式は 速さの3公式のうちの「時間=距離÷速さ」の公式に数値をあてはめた式と同じなのです。 174(段)÷3(段/分)=58(分) 図を描いて解くことにより、「速さ」の問題を自分の納得できる範囲で、感覚的に学ぶことができるのです。 このような学習は『解き方を教えない先行学習』と言っています。 そうです。まだ習っていない単元は、解き方を習わなくても、前もって十分に学習できるのです。 これはいわゆる『先行学習』とはちがいます。(『先行学習』が流行っているようですが、小学生にして、もう「文字式」や「方程式」ができる。すご~い。うちの子も負けちゃいられないみたいな世界が。)しかし、解き方を教えての先行学習は、実は意味を持ちません。「こうしたら答がでるよ」と手順を教わるだけで、そこでは意味などまったく考えられていないからです。「解き方」を教わると、深い学習ができなくなります。考えなくても、「解き方」を知っているわけですから。 だから、解けなくなると、よく子どもの口から出るのは「解き方を忘れた」ということばです。これは「理解していないのだけど、解き方を暗記していた」ことの裏返しの表現です。 まだまだ、お宝さがしは続きます。 同時に、『速さ』の問題がもたらす意味を、実に深~く学ばさせてくれます。 1分 … 3段 2分 … 6段 3分 … 9段 4分 … 12段 ・・・ 58分 … 174段 と並べると、もうおわかりですね。 「時間」が2倍になると、「石段の数」も2倍になっている。 はい、ここで『比例』のお宝、ゲット! 小6で習う、『比例』の関係がみてとれます。 さらに、同じく小6で習う、 1:3=2:6=3:9=・・・=58:174 の『比』の関係も観察できます。 またまたお宝です。『比』のお宝、ゲット! これらを見て、この関係を『比例』だとか『比』という用語を教えることは、ほとんど無意味です。 大切なことは、「『比例』や『比』の関係をじっくりと肌で感じていく」ということ。 こうして『比例』や『比』の原理を深~く深~く学ぶことになるのです。 また、この絵を抽象化すると、次のような表になり、 時 間 1 2 3 … 58 石段の数 3 6 9 … 174 さらに、中学ではこの表が、次のようなxとyを使ったものに発展し、 x 1 2 3 … 58 y 3 6 9 … 174 この表を、さらにもっと抽象度を高めたものがグラフです。 そのグラフの式が、一般式と呼ばれる y=ax です。(比例の関係においては、aは比例定数と呼ばれますが、その本質は、一次関数のグラフにおける「傾き」、または「xが1増加したときのyの増加量」つまり「変化の割合」ということになります) (『一次関数における「傾き」と「変化の割合」』のお宝、ゲット!) 中学生にとって、このaを本当に感覚的に理解している子はごくごくわずかで、ほとんどの中学生は、y=axの式にxとyの数値を代入して、わけもわからずaを出しているだけというレベルです(これでも、テストの点数は取れるのですが…)。 絵を描けば、中学生がほとんど理解できていない「変化の割合」も言葉を通さずして、体の中に刻みつけていくことになるのです。 「y=ax」の理解の鍵は、このaの理解にあります。 xが1増えると、yは3増える。 またxが1増えると、yは3増える。 またxが1増えると、yは3増える。 ・・・ 時間が1分経つと、石段を3段のぼっている。 また時間が1分経つと、石段を3段のぼっている。 また時間が1分経つと、石段を3段のぼっている。 ・・・ つまり、アリのハッピーになりきって、 アナゴ神社という一次関数の石段(グラフ)を、よっこらしょ、よっこらしょとのぼる。 この疑似体験が、そのまま中学で習う、関数のグラフのイメージに結びついていくのです。(これこそが体験学習の原点です。生きた知識につながらない体験は学習とはいえないのです) 神社の石段の傾きのイメージは、そのままy=axのグラフの傾きにオーバーラップされていく。 この緻密な作業の繰り返しで、一般に「比例定数」と呼ばれる、この得たいのしれない「a」の感覚が、無意識的に、だけどしっかりと育っていくのです。 ここで、このあたりの話がよく理解されにくいかもしれませんので、『バカの壁』で有名な養老孟司先生のお力を借りることにします。 繰り返しで、人は学ぶ 算数で比例を習うと、『ふつうは外側に「比例」という規則があって、その外側にある規則を自分が学んでいるんだ』、なんて思ってるでしょう。 ぼくが言いたいのは、キミの頭の中に、くり返し学んだすえにすでにわかっている「比例関係」が、実は最初からあるんだっていうことです。むずかしく言うと、外部的に外側から説明してもらうと、頭の中にあるから、わかる、ということ。それが脳の働きというものなんです。ふつう考えるのと、ちょうど逆でしょ。 それと同じことで、キミたちは学校で、外からいろいろ教えられるもんだと思っているでしょう?でも、そうじゃない。わかるというのは、もともと自分の中にわかるだけのものが、ループのくり返しによりでき上がっていて、それを外から説明されるから、わかるんだ。 養老先生が説明されているように、自分の頭の中にすでに「わかるものだけのもの」があるときに、初めて理解が成立するのです。 分からない子にいくら説明しても、ピンときてもらえないのはそのためなのです。(学校や塾の先生はそれこそいやというほど、体験していますから、ここは文字通りピンと来られると思います。これもループのくりかえしのおかげですね。) ですから、学校でわからなったことを、塾に行って説明してもらったら、わからないものがわかるようになるのではないのです。ただ、単にパターンを暗記して、そのパターンを覚えている期間だけ、問題が解けるようになるだけです。 分からないから、何度も解かせて、「解法パターンの暗記」に持っていく今の勉強のあり方。そして、その解法パターンを覚えることができる子が、勝ち組として残るという図式ができあがっていくわけです。つまり、わかっていないのに、丸暗記することが「勉強」というものになっているわけですから、 勉強は、つまらないはずです。 眠くなるはずです。苦しいはずです。 だけど、方法を変えれば、だれもが楽に楽しく楽習する方法があり、それも、だれもが確実に賢くなる方法が。 それが、絵を描いて「文章題」を解く方法なのです。 それでは、締めくくりとして、同じ子が解いた問題です。 (前の問題を解いてから、およそ10ヶ月後に解きました) ハラホレ遊園地のメリーゴーランドは有名だ。 ここの遊園地のメリーゴーランドは1周するたびに、花火が10発打ち上げられるのだ! メリーゴーランドの定員は20名。 今日は全部で190名もの人がメリーゴーランドに乗ろうと列を作っていた。 待っている間、早く順番が来ないかなあとそわそわしている。 定員に達したら、メリーゴーランドは動き始める。 なんとも楽しげな音楽にのって軽快にくるくるまわるんだ。 何周すると思う?たった8周だ!だけど、花火を見るためには、仕方ないのかも・・・。 さて、今日は何発の花火が打ち上げられたのだろう? 答 720発 ここではもう余計な解説はしませんが、ある変化が起こっています。もうごてごてとたくさん描かなくてもよくなっているのにお気づきだと思います。10ヶ月前だと、90人の人間を全員描いたことでしょう。 この問題では、20人の文字のまわりを○で囲んで20人としています。 抽象化の始まりです。 図を描く上で、いろいろな工夫ができるようになるのです。 あ、そうそう、そういえば、言い忘れていました。 お宝、まだありました。 『ドッカイリョク』というお宝。 これは算数の文章題なのですが、 実は、「国語の読解力」もつけられます。 文を読んで、絵に描くということは、 文を読むときに、いつもイメージしながら読むことにつながるからです。 どうですか。 アナゴ神社の問題、たった一題でこれだけのこれだけのお宝をゲットできます。 習っていなくても、養老先生のお話のように、それぞれの単元の原理は、イメージを描き出すことによって簡単に先行学習できるのです。 今回のアナゴ神社の問題 たった1題のこの問題の中にいくらお宝があったか、 一応、列挙すると、 『たし算』 『ひき算』 『時間の計算』 『わり算』 『かけ算』 『速さ』 『比例』 『比』 『一次関数における「傾き」と「変化の割合」』 『ドッカイリョク』 今回、ゲットしたお宝は、10個でした。 だけど、そのお宝の種類や数は、お子さんによって、さまざまです。 例えば、高度なレベルになれば、「1分間に3段登る?ということは、実際の石段の高さは厳密に言えば違うはずだから、1段のぼるのには、ええと、60秒を3段で割って、1段を平均20秒で登るんだな」と気づくだけで、『平均』のお宝ゲットであるわけです。 「ところで、その『平均』のお宝が答を出すこととどう関係あるんだ。そんなこと、考える暇があったらさっさと答を出したほうがいいじゃないか」と、おっしゃる方もいらっしゃるかもしれません。 実は、この文章題。 ビックリスルカタモイラッシャルカモシレマセンガ 答を出すことが目的ではないのです! 答なんて、まちがっていても、いいのです。 大切なのは、自分だけのお宝を見つけること! これこそが、この文章題を解く最大の目的なのです。 イメージとしてのお宝をがっぽがっぽ獲得しちゃいましょ。 間違ってもいいのだから、気楽に取り組めますね。 プレッシャーなしの状態、リラックスした状態でいつものぞむことができます。 (なんでも、リラックスした状態が一番力が出せるそうですね。) ともあれ、1題をじっくりと解くだけで、いろいろなお宝をゲットできることがおわかりいただけたと思います。 1週間に1~2題で十分です。 このお宝満載の文章題を、仮に1年生の始めから解くと、 1年間に50題と少し解くことができますから、 小学生の間に解く問題数は、なんと300題以上! 塾生たちの多くは、文章題を解くのは楽しいと言ってくれます。 だけど、楽しいからといって、毎日解かせるのはよくないです。飽きてしまいますから。 いくらビフテキとトリの唐揚げが大好物だからといって、毎日食べさせられたら、モー、ケッコーと言いたくなります。 さあ、みんな! 君も、アリのハッピーと一緒に、 石段を一段一段登ってみないかい。 汗をかきかき苦労して登り切った後には、 おいしいおやつとジュースが待ってるよ!